少年時代 その1 鯨





私がまだ小学校の5年のころだったと思う。
2限目の授業中にもかかわらず、突然ベルがなった。 担任の先生は『すぐに靴を履いて校庭に二列に並びなさい』と理由も言わず、指示を下した。 校庭からは先生が引率した。
私は、これから何事が起こるのかも分からず、隊列の一番最後尾を歩いた。 意外なことに、行き先はすぐ近くの魚港だった。そのうち、もう一学年も加わった。 そこは、台風のときなどに船を陸に引き上げやすくするために、海面からなだらかな傾斜になっている漁港のはずれだった。 こんな場所に60人もの小学生を集めて何をするのかその時点では分からず、わたしたちは手持ち無沙汰だった。
そのうち、騒いでいたみんなが少しずつ静かになり、遠く水平線あたりを眺めだした。 船らしき影が小さく見えたのだ。それはだんだん岸のほうに近づいてくるようだった。 しばらくするうちに、定置網用の動力船と櫓こぎ船が真横に並んでいることが分かるようになり、 さらに近くになると二艘の間には網が渡してあり、何かをその上に捕らえている様子が伺えた。 港の中に入ったときには、捕らえたものは魚でなく鯨であることがはっきり見えた。 網に包まった鯨は眠っているように思えた。
岸の近くに運ばれ、網が解き放たれた鯨は、腹が浅瀬に支えて自由に動けないのだろうか, 逃げるそぶりを見せなかった。
突然、口に出刃包丁をくわえた、ふんどし姿の若い漁師が船から鯨のほうに泳いでいった。 みんなが注目する中、どんな風によじ登ったのか今は定かではないが、あれよと言う間に鯨の背中に馬乗りになり、 包丁を頭に突き刺し切り込んだ。
次には、若い漁師は太いロープを手にして、その端を鯨の皮の下を潜らせ、縛った。 多分、皮に平行な深い切り口を作り、分厚い皮下にロープを潜らせたのだろう。私たちは観客だった。 声を上げない観客だった。
しかし、彼が『引け!引け!』叫んだ瞬間、我に返った。 いつの間にか、私たちの手元には、運動会の綱引きに使うような太いロープがあった。 私たちは無言の観客であることを止め、『よいしょ、よいしょ』と大声を出し、 力をあわせて鯨を陸に引き上げ始めた。
鯨は尾びれを水面に叩きつけ、暴れた。鯨は大きかった。 波が立った。泡が立った。本当なら白いはずの泡が赤くなるほど浅瀬は鯨の血で赤く染まっていた。
抵抗むなしく鯨は陸に引き上げられると、私たちの役目はそこまでで、学校に帰った。

その日、部落の全部の家々にバケツ一杯の鯨の肉が支給された。 私の家でも晩ご飯のときに鯨の料理が出たことを覚えている。 母が作ってくれた煮込みはとても美味しく、何杯も御代わりをしたことを覚えている。
そして、その味の記憶とともに、あの鮮血に染まった浅瀬の色も忘れることができないでいる。
しかし、今もそのときの鯨がどんな目をしていたか記憶に無い。まったく無いのだ。
学校教育の成果は大人になったときに残ったものが全てであるとするならば、 私の小学校教育は、鯨であり、サザエ、ワラビ、運動会、学芸会のようだ。
残念ながら日本国憲法や動物愛護は記憶のかけらも無い。










このホームページの著作権は平田歯科医院に帰属します。
Copyright (c) 2002 Dental hospital HIRATA. All rights reserved.