ゴルフの師匠 堀田慎吾その1




私の師匠 ゴルフ編
私が初めてゴルフクラブを手にしたのは、長野の佐久に勤務してからのことであった。
私が勤務して2年ほど経ったころ、どう言う訳か歯科の師匠である木次先生がゴルフに手を染め始めた。 敷地内に練習用のネットを張った。5番アイアンとボールが常時置いてあった。
それで、休み時間に私も勝手に振り回したのである。 先生からグリップを教えてもらった以外は特に誰からも指導を受けることがなかった。良い当たりで打てたと記憶している。
しかし、数十ヤードしか飛ばないプラスチックボールを打ってみると、まっすぐには飛ばなかった。 しかし、全力でスイングするとそこそこキチンとヒットした記憶はある。
しかし、当時のゴルフは庶民のできるものではなく、実際にゴルフ場でプレーできるなどとはほとんど思えなかった。

木次先生は、ゴルフに夢中になった。
仕事を調整してまで、ゴルフに出かけた。 多少ばつが悪くなったのか、ある日突然、日曜日だったと思うが、私を呼び出した。
指定された場所に出かけると、そこは臼田町のゴルフショップであった。 そこで店のご主人と談笑しながら私を待っていた師匠は、事前に一言の相談もなく、 突然にゴルフセットを買えと言うのである。師匠の性格もわかるというものだ。
ベンホーガンのフルセットと身なり一式の値段にビックリしたが、 しかしゴルフ場に連れて行くとの甘い誘惑に負けて、買ってしまった。
その日のうちに、練習場に飛んでいった。最初の一振りはこれだ!!と思い入れ込んだ5番アイアンを出し、思い切り振った。
振り終わった直後、不思議な感覚が私を襲った。 クラブヘッドが軽いのである。・・・・シャフトが短くなったようにも思えた・・・。
何のことはない、先っぽだけが折れて消えたのである。
あまりのスイングスピードで練習マットを強打したのである。いわゆるダフッたのである。 前方にヘッドは見当たらない。よく探してみると後ろの土手の赤土に突き刺さっていた・・・・・。
その日の練習はその一球で終わった。ショップに引き返して、修理をお願いした。
私のその後のゴルフ人生を暗示しているかのような出来事であった。

勤務時代は、寒い寒い・・冬の佐久平GCや涼しい八千穂CCなどをラウンドした。 合計でも5回くらいであろうか。それほど夢中になることはなかった。
石川に帰ってからは、ゴルフクラブは持っている・・。という程度で関心はなかった。
欠員がいて、仕方のないときにはコンペにも参加した。年に2回ほどコンペに参加するだけの人に過ぎなかった。
それより、ボウリングに夢中だったのである。

30歳代のときは、『あんな止まっている小さなボールを打ってどこが面白いんだ』、 『今はボウリングのほうが面白、ゴルフは40過ぎたら始めるヨ。それからでも遅くないだろう・・』 と言い放っていた。
実際、練習もしなかったが、初参加の保険医協会のコンペでは、ティーショットを4番アイアンでまわり、優勝してしまった。 場所は金沢ゴルフだったと記憶している。 調子ものの私は、ドライバーが全く使えない状態でこれだから、 練習して使えるようになればもっと良いスコアが出ると勝手に思い込んでいたのだ。

そんな私に転機が来た。
何かの拍子に歯科医師会のゴルフコンペにはじめて参加することになった。スコアは無残だった。 プレー後のパーティで、初参加ということで挨拶をしなさいということになった。
今にしてもなぜ?どうして?なのか分からないが・・・何を思ったのか言ってしまったのである。
『高校の同級生のHがHC6で、MがHC8らしいが、それなら私も一年もすればシングルになれるだろう・・。 今後頑張りますからよろしく・・・』 と。なんと高慢な自信過剰のアホだろうか・・・。
ゴルフを分かっている人なら絶対に不可能なことなのだが、 いかんせん『ゴルフの奥深さ』を知らないのだから仕方ない・・。
この辺は歯科医師会のボウリング同好会に入会したときの挨拶も全く同じである。 当然のごとく一部の会員に激しく嫌われた(その後仲良くなるのであるが・・・)。

さて、発言した以上は守らねばならない。
近くの練習場に出かけた。今にして思い出せば、ただ振り回すだけの練習であった。よく飛んだ。
しかし、8番アイアンで天井のネットに当たるのを自慢にする・・・全く意味のない弾道であった。
みるに見かねたのだろう・・高校の同級生の向先生が、練習場のコーチを紹介してくれた。
その人こそが、私のゴルフの師匠となる人であった。
私にとって、堀田慎吾師匠は今でも絶対服従の師匠である。
後で知ることになるのであるが、生まれもどういうわけか、木次先生と同じく昭和10年。何か因縁めいたものを感じた。

練習は楽しかった。
毎日毎日、何百球とボールを打った。10ヶ月で13万球打った。
9時から11時まで練習した。練習のあとも、喫茶コーナーで仲間と談笑した。もちろんゴルフ理論に関してである。 帰るのはいつも12時を回っていた。
ゴルフ会員権もない私だが、師匠のお陰で、片山津ゴルフクラブでは特別待遇を経験できた。 公式ハンディも持たない者がフルバックから、キャディを2人つけてラウンドしたこともある。
しかし、練習場では師範代を勤められるほどそこそこ打てるのだが、実践では、下手だった。スコアは良くならなかった。   自分の才能の無さにあきれて、ゴルフをやめようと何回か思った。
パターンは、いつも同じだった。ドライバーが大きく曲がって林の中へ・・隣のコースから戻ってくるだけで2打プラス。 または、ドライバーが飛んでグリーンまで数十ヤード。普通ならバーディを狙えるのに、 終わってみればダボ・・。フルショットは時にプロ並なのだが、小技がド下手だったのである。

師匠はいつも厳しく、素人の私にプロ級の技をいろいろと教えてくださった。
サンドウエッジで低くスピンを効かせる技。
めちゃくちゃ高いロブショット。
3鉄や7鉄で低く出すトラブルショット。
バンカーで目玉になったときのショット。
どフック。どスライス。フェードボールの打ち方。
お陰で、技は沢山覚えた。しかし、その成功率が低くスコアに結びつかないのであった。
にも拘らず、よせばいいのに使いたがる性格はどうしょうも無い・・・。 仲間には、大いに笑われました。

練習開始から2、3年ほどして、ゴルフクラブのメンバーになった。
春分の日杯で、41・42だったか・・の結果を出した。公式HCは新定13。
友人たちには、魔の13とも言われた。
ゴルフどころではなくなった状況もあり、数年ゴルフをやめざるを得なかったこともあり 、久しくそれより減らなかったからである。

ゴルフをして本当に良かったことは幾つかある。
師匠との逸話も沢山ある。
それらは、その内書き込むことにしよう。
今回はここまで。(08年11月)










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