続 命の入り口 心の出口 7
        
              201029西日本新聞
 アトピー  噛まぬ食が母乳に影響

 福岡県久留米市に住む荒巻陽子の長男達朗に「異変」が起きたのは昨年6月、生後3カ月のこと。ほお、頭、耳の後ろ、ひじやひざの関節の裏など、すべすべだった肌が真っ赤に染まり、じくじくとした汁も流れ出してきた。
 独身時代から、旬の野菜を朝市で買い、料理も手づくりするなど食事には人一倍気を使ってきた陽子。母乳は血液からできることを考えて肉や脂ものは避け、猛烈におなかがすく授乳期の間食も、お菓子ではなく有機米のおにぎりを食べるなど頑張ったのに、「なぜアトピーに」。それが正直な気持ちだった。

 乳腺炎を診てもらっていた助産師から、1万人以上のアトピー・アレルギー患者を食改善で治療してきた下関市立中央病院小児科の永田良隆(69)を紹介された。予約は1カ月後だったが、電話口で状態を聞いた看護師が「とりあえず近所の皮膚科でかゆみを止めてもらうように。あなたはご飯と麦をやめ、カボチャ、イモを主食に変え、油を控えてください」と助言。すると実行したその日から、達朗の状態が目に見えて改善した。
 昨年8月、達朗を診た永田が陽子に言った。
 「原因はあなたが13合半食べている米です。忙しくて、よく噛まんかったの
でしょう?」 「えっ」。卵や牛乳、植物油はアレルギーになりやすいから、せっせと米を食
べたのに。陽子は理由がわからなかった。

 アトピーの原因は、ダニやほこり、ストレスなどさまざまだが、「食由来のアトピーは、十分に消化しきれなかった食べ物が皮膚に噴き出したもの。食べ物を変え、体内から根治すれば大人も子どもも解決に向かう」というのが永田の持論。なかでも大きな原因とみているのが、植物油とタンパク質のとりすぎ。
 タンパク質を分子量の小さなアミノ酸まで分解できず、アミノ酸が数十個結合した分子量の大きな中間産物「ポリペプチド」となって腸管内に大量にたまる。
 成人の場合、ポリペプチドは、腸管粘膜の網の目を通さない。だが、腸の状態が悪化すると、その網の目が広がり、体内に入り込む。これが皮膚から排せつされるとき、強烈なかゆみを伴うのだ。
 乳児の腸管は、母乳成分の大部分をそのまま通す特性がある。卵ほど多くはないが、白米にも約6%のタンパク質がある。母親が調子を崩したうえ噛み方が悪ければ、ポリペプチドが母親の血液から母乳を経由して、乳児に行く可能性はある。
 「食は、質だけではなく、量や運動など『いかに食べるか』も考えないと。白米20回、玄米なら50回は噛んでください」

 食を変えてしばらくすると、達朗のアトピーはうそのように消えた。3カ月後には、陽子にも米を食べる許可が出た。
 つらい状況を乗り越えた陽子は思う。
 「達朗の血液検査の結果は、私の食の通信簿。食べたものが私と子どもの血や
肉になる。今、それに気づけて、良かったのかもしれない」
 陽子に抱かれた達朗が、生えたばかりの前歯を見せてにこっと笑った。

                            (敬称略)

 

 


続 命の入り口 心の出口8
                     2010210西日本新聞
   
体重日記  かむ意識が肥満防止に

 通常23割程度といわれる専門的医療機関でのダイエット成功率。それが7割という国内トップクラスの実績を誇る病院が大分県由布市にある。大分大医学部第1内科肥満専門外来。常時約300人の患者を抱える。 
 成功の秘策は「体重日記」。「就寝前や食後の体重をグラフにして記録するだけの1枚紙だが、これが威力を発揮する」。第1内科教授の吉松博信(58)が言う。
 肥満患者は食欲がなくても食べる。太りやすい体質もある。日記で体重が増えていたら、そのときの行動を尋ねる。過食や間食しやすい行動を自覚させ、生活習慣を変えるのが、日々の記帳の目的だ。
 体重日記を前にした診察室での会話−。
 「あまり食べないのに、やせません」
 「でも、何か食べたんじゃないですか」
 「昼前に甘いものを少し
 「少しってどれくらいですか」
 しかったりはしない。「ときどき」「ぐらい」といったあいまいな点をていねいに聞いていく。すると、患者の言う「少し」は、実はまんじゅう23個だったりするのだ。
 こうした手法で171aで105`の男性(49)1年半で40`、135`あった若い女性は2年で90`の減量に成功。患者の平均減量幅は約10`という。
 「何を食べて体重がどのくらい増えるのか。原因を自分で理解することが、減量につながる」と吉松は力説する。

 体重日記の裏面には、一口ごとに30回かめたら、できなければ×を記す欄がある。
 昔から「早食いは太る」いうように、たくさん食べる人は食べ方も速い。だが一口30回かめば、そのスピードも緩み、焼き肉をほおばりながら、はしで次の肉に手を出すこともなくなる。
 とはいえ、はじめは「いつものスピードで食べたい」「あごが疲れる」といった不満とともに、×が並ぶ。徐々にが増え、その記録を自分の目で確認すると、「少ない食事量でおなかがいっぱいになる」ことに納得し、やる気が増していくという。
 なぜ、かむと満腹感が得られるのか。
 「それは、かむと脳内の神経伝達物質『神経ヒスタミン』が爆発的に活性化するから」と、中村学園大客員教授の坂田利家(73)は解説する。
 神経ヒスタミンはまず、脳の満腹中枢に満腹サインを送るとともに、がつがつ食べず、食事の速度を落とすよう働きかける。さらに、交感神経にも働きかけることで、日本人に多い「隠れ肥満」の原因となる内臓脂肪の燃焼を促進させる。
 吉松は言う。「日記なんか面倒くさいという患者をその気にさせる。その気付きを手助けするのも医師の仕事なんです」 肥満、高血圧、高脂血症。生活習慣病を治す「薬」は、生活習慣を改めることが一番。「よくかんで食べる」はまさに、究極の健康法ともいえる。
                                                                (
敬称略)

 


続 命の入り口 心の出口 9          
                  2010211西日本新聞
   
入れ歯  「安ければ」で大丈夫か

 食料品から衣料品、電気製品など、あらゆる分野で日本市場を席巻する中国製品。最近はついに銀歯や入れ歯も、中国から輸入されるケースが増えているという。
 「福岡県内でも中国製を使う歯科医院は多い。知り合いの歯科医師は、患者に中国製と言わずに使っていますよ」。北九州市の歯科技工士男性(59)は打ち明けた。
 使う理由は、圧倒的な安さ。通常2千〜3千円程度かかる銀歯(金、銀、パラジウム)も、中国製だと数百円で済む。
 銀歯を入れた場合、歯科医師の診療報酬は約7千円。この中から、歯科技工士に材料費や技工料を支払う。歯科経営が厳しさを増すなか、少しでも収益を上げたい歯科医師のために、直接中国製の注文を請け負う代理店や、安価で受注して、中国に委託する歯科技工所が出ている。
 関係者によると、中国製の中には、有毒な鉛が使われるなど、粗悪なものもある。そもそも日本と中国では、義歯に使える材料の安全基準が違う。実際、発がん性から日本では禁止されている金属ベリリウムが、中国では認められている。 だが、個人輸入扱いのため、現在は事実上ノーチェックで輸入されているのが実情という。

 80歳以上の老人の46%は、歯がない。こうした人々には総入れ歯が必要。でも、健康保険が認める総義歯医療費は約7万円。これでは、よく?める総入れ歯は作れない。総義歯医療費の早急な見直しが必要だ−こんな手紙が昨年3月、当時の厚生労働大臣、舛添要一(61)に届いた。
 手紙の主は、福岡市の知的障害者通園施設「しいのみ学園」理事長、f地三郎(103)75歳から総入れ歯で、「元気のもとはよくかんで食べること。入れ歯でもしっかりかめることが何より大事」と考え、実践している。f地は、入れ歯を保険外で作った。30年近くたった今でも、硬い物がよくかめ、唾液も多く出る。ぴったりと歯茎に合っているからだ。
 保険なら高齢者は本人負担1割で済むが、「高い方が長持ちするし、修理も利く」と専門家。 「7万円の枠を撤廃し、お金をかけてもいい総義歯を作れる制度にできないか。長い目で見れば、健康長寿につながる」。f地の問題提起だ。
 歯が抜けると歯並びが崩れる。歯肉と唇は、異物が口内に入り込まないよう守っている。「口は命のもとであり、歯は人間の城壁」(f地)
 その城壁となる入れ歯は、良い歯科医師と歯科技工士が協力して作り上げる。患者の入れ歯の角度や噛み合わせを考え、総入れ歯だと完成まで1カ月はかかる。
 歯科診療所は全国で約67(2005)1984年比で3割以上増えた。歯科医院の生存競争は年々激化、安値競争が加速し、そのしわ寄せが歯科技工士に来ているといわれる。「努力でカバーしている良心的な技工士ほど経営は苦しい。いいものは作れない」と、ある技工士は語る。日本歯科技工士会の調べによると、20代の技工士の離職率は75%を超えている。
                            (敬称略)

 

続 命の入り口 心の出口 10       
                   2010212西日本新聞
   
食指導   予防医学はまず口から

 毎年12月になると、新潟県柏崎市の「ひまわり歯科」院長鈴木公子(50)200本を超えるたくあんを漬け込む。和食による食事指導を診療の柱に据える鈴木。
伝統食たくあんはかむことを促し、口や腸の細菌環境を良くする食材なのだ。
 そんな鈴木の診察室に、虫歯治療で訪れた若い女性の驚きの声が響いた。「えー、こんなのが口の中に」。うじゃうじゃ、にょろにょろと、棒状や球形の細菌が重なり合う。モニター画面で見たのは、顕微鏡に映った自分の歯垢だ。 「ちょっと勉強しましょうかね」。歯科衛生士が女性に説明を始めた。 
 ブラッシングの仕方と歯の構造、甘い清涼飲料水や乳酸菌飲料が虫歯の原因になること、市販のパンには砂糖が多いこと、ご飯とみそ汁、発酵食品、魚と野菜を基本に、よくかむことが予防になること−。
 同じ話でも口内の実態を見た後だから、説得力が違う。約30分間、治療時間より長い説明を受けた女性は納得の表情だ。 自ら何度も大病し、歯も体も基本は食であることに気づき、こうした診療を行う鈴木は「効果あるでしょう。でも、みんなここまでやれないの」。

 なぜか。それは現行の保険制度は、「病気にしない」予防的措置に対する診療報酬が低いからだ。例えば、ひまわり歯科で行われた指導の診療報酬は800円。
「滅菌した探針やピンセットなどの基本セットや使い捨て手袋を用意するだけで1400円はかかる。どんどん人数をこなさないと経営は成り立たない」と、ある歯科医師は言う。
 医科と歯科の診療報酬の差もある。一般に、保険診療を中心に行う総合病院では、診療報酬の低い歯科は「不採算部門」として廃止される傾向にある。
 予防的な食指導の必要性は理解されながら、普及しない現実。「痛くなったら来院」を繰り返す患者は重度になっているケースも多く、結果的に国全体の医療費を引き上げている。

 そんな中、北九州市の済生会八幡総合病院は、今年4月から歯科を新設する。
院長の松股孝(60)いわく、「病気予防は、まず口からです」。 対象は、糖尿病や外科手術などを控えた入院患者と、同病院で働く500人の職員。患者には口腔ケアによる治療効果の向上を狙い、職員には定期的なチェックで健康増進を図る。もし何か見つかれば、地域のかかりつけ歯科で見てもらうから、経営的競合もない。
 昨年11月、松股は職員食堂を、地元でとれた旬の野菜を提供する地産地消レストランにした。こんな取り組みによって職員一人一人が、食や口からの健康づくりを実感すれば、病気にならない生き方が職員から患者へ伝わると考えたからだ。
 「回り道かもしれないけれど」。医科歯科連携で、病人を減らす医療を目指す松股が、そう前置きして言った。「全国に67千ある歯科医院が地域住民のかかりつけ医になり、食の指導を行う。国民の健康度アップで、不必要な医療費も減る。そう思いませんか」
                              (敬称略)

 

 

続 命の入り口 心の出口 11    
                    2010214西日本新聞
   
食育   健口≠ェ健康をつくる

 佐賀県武雄市立武雄小学校の卒業生に、必ず渡される記念品がある。16年次までの自分の顔と歯の写真に、校医の歯科医師、増田純一(67)がコメントを添えた「歯の卒業証書」。よく歯を守ってくれたことに対する増田からの贈り物だ。
 1991年から10年間、3歳児の虫歯本数で、全国ワーストを続けた佐賀県。増田が取り組みを始めた99年も、12歳児の平均虫歯本数2.2本に対し、同小の児童は4.54本と2倍あった。
 就学前に生える6歳臼歯の重要性と6年生までに生え替わる永久歯の虫歯予防のため、家庭と学校の目を口に向けようと考えた増田。
 春の新学期、自院の始業時間前に歯科衛生士らを連れ、11クラス約30人、計400入超の児童の歯を検診して撮影。その結果を学校、家庭に渡し、秋に再度検診して改善されていなければ、担任を通じて家庭に勧告書を出した。
 現状が把握できれば、将来の口の姿は容易に想像がつく。増田は学年ごとに、将来の虫歯本数を予測したグラフを教師に渡し、意識付けもした。 努力は実った。2009年度、同小6年生は、虫歯ゼロの場合は0となるDMF歯数(虫歯、処置歯、抜けた歯の合計)0.31となり、全国平均の1.54(08年度)をはるかにしのいだ。
 「食べることは生きること。その中心にある歯の健康は小学生の時期につくられる」
 一校医の枠を超え、口から家庭と地域の意識を向上させる増田の狙いは、地元の武雄杵島地区歯科医師会も巻き込み、着々と実現しつつある。

 北九州市若松区役所で開かれた、赤ちゃんを抱いた17人の母親たちが集った離乳食教室
 「赤ちゃんが飲み込むのは反射ですが、食べるのは学習。こぼして当然の今の時期にどんどん体験させてくださいね」と同区の歯科医師、山口知世。スプーンで食べさせるときも、早く食べさせようと押しつけずに、乳児が舌を使うまで我慢するなど、子育てを経験したママさん歯科医師でないとできない話に、母親たちがうなずく。
 実父と夫と3人で歯科医院を営む傍ら、啓発活動を行う山口。始まりは1998年、長女を預けた乳児保育所であった保護者会だった。不安や悩みごとを相談する母親たち。保育士は栄養や行儀には精通していても、噛み方や舌の使い方といった、乳幼児のときに獲得すべき「食べる機能」にまで話が及ばない。そこで山口が、歯科医師の立場から助言すると、たいそう喜ばれた。
 食べる機能の重要性を伝えるのが自分の使命と考えた山口。いろんな場所に出向いては頭を下げ、手弁当で講演させてもらうようになった。 若松区役所でも最初、「なんで、歯科医師が」という顔をされた。しかし対話を重ねるうち、管理栄養士が「食育は、歯科医師と栄養士が共同で推進していかないと」と言うまでになった。
「健康には健口≠ェ必要なことに、早く気づいてほしいから、プロの歯科医師が出しゃばるんです」と言う山口。 昨年の講演は計52回。今年はもっと増えそうだ。
                             (敬称略)

 


続 命の入り口 心の出口 12    
                  2010215西日本新聞
   
口福   治療から予防にかじを

 「口」をテーマにしようと思ったのは5年前。福岡県宗像市であったシンポジウムがきっかけだった。 地産地消、地元の物を食べて、地域と家族の健康を守ろうと訴える記者に、パネリストを務める同市の歯科医師、大林京子さんが言った。
 「佐藤さん。あなたは食材のことばかり言うけど、首から下のことは考えていますか。どんな食べ物も?まないと駄目なんですよ」

 「
 基準値を超える野菜の残留農薬や食品添加物など、食の安心・安全に対する話題になると、私たちは過敏とも思えるくらい反応する。でも、よく噛み、食べ物の表面積を増やして胃に送り込めば、病原性大腸菌O157でさえ生きられない。発がん性物質も30秒間唾液に浸せば、その毒性が弱まることがわかっている。
 食を語るなら、口回りのことにも目を向けてほしい。「食べる」と「出す」の間にある「噛む」が抜け落ちてないか一それが大林さんの指摘だった。
 取材の過程で知った、カナダの脳外科医、ワイルダー・ペンフィールド(18911976)作成の「ペンフィールドの図」。医学の教科書には必ず載っている、大脳にある運動、感覚の中枢と、体とのかかわりを示した図である。
 それによると、両中枢の実に4割が口回りとつながっている。なぜ、ヒトはできるだけ自分の口から栄養をとるべきなのか。それがボケ防止にもつながるのか。口を動かせば脳に刺激があることが、この図から見て取れる。

 だれもが願う健康長寿。楽しく食べ、語らえる口の機能をできるだけ長く維持することは必要な条件の一つだ。だが、現実を見ると歯周病は国民病となり、健康な歯肉を持つ人は、国民の1割しかいない。「でも、策はある。治療から予防へとかじを切ることです」。口腔ケアが高齢者の肺炎予防に効果があることを突き止めた静岡県の歯科医師、米山武義さん(55)は言う。


 1970年代、今の日本と同じ歯周病大国だったスウェーデン。20歳以下の歯科検診の無料化や、小中学生は毎年、歯科医院で30分かけた検診を義務付ける代わりに、それを守らない場合は保険で治療する際の金額に差をつけるなど、予防重視の施策を導入した結果、国民の口腔環境は大きく改善した。30年後には、健康な歯肉を持つ人は44%に上昇。80歳で自分の歯を20本残す「8020」もほぼ100%になり、日本人の達成率25%を大きく上回る。
「技術」「制度」「価値観」のいずれかが変わったとき、世の中は新たな道を歩み始めるという。国民の健康を考えれば、わが国もスウェーデンに倣い、歯科医療関係者が、予防に力を入れられるよう、保険制度を見直すべきときにきているのではないか。
 命の入り口、.心の出口である口を大事にすれば、それはロ福≠呼び、豊かな人生につながる。私たち取材班からの提案である。
                          =第13部おわり

(
この連載は、「食卓の向こう側取材班」の佐藤弘、河野潤一郎が担当しました)

 

 

 

3/4付の西日本新聞に、12回シリーズのまとめとして福岡で2/20にありました。
シンポジウム「命の入り口、心の出口」の特集記事が掲載されました。
シンポにも参加させていただきましたが、この記事、長文ですが良くまとまって
います。おもしろいので、あっという間に読めますよ。どうぞ、ご覧ください。
8020運動が、どんなものかも書かれています。
ちなみに、この佐藤弘記者には、その後、熊本県保険医協会MLにも入会いただ
き、活発な討論をされています。
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シンポジウム「命の入り口、心の出口」
  噛む 食べる 生きる 口から見える健康

 足掛け8年にわたり、企画「食卓の向こう側」を展開している西日本新聞社は220日、第13部「命の入り口 心の出口」をテーマにしたシンポジウムを福岡市博多区で開いた。シンポでは、連載に登場した歯科医師らと約440人の参加者が、クラッカーを食べて口腔機能を実感する体験や、歯科衛生士が教える健口体操などを行いながら、噛むことや唾液の大事さ、健康における口の重要性について確認した。(継承略)

《パネリスト》 順不同
岡崎 好秀さん
 岡山大学病院小児歯科・歯科医師=岡山市
山口 知世さん
 金丸歯科医院・歯科医師=北九州市
松股 孝さん
 済生会八幡総合病院院長・医師=北九州市
《コーディネーター》
佐藤弘  西日本新聞社編集委員
基調講演

●健口健幸な人生 
岡山大学病院小児歯科医師 岡崎 好秀さん
 おかざき・よしひで1952年、大阪府生まれ。愛知学院大学歯学部卒業後、大阪大学歯学部小児歯科を経て、84年から現職。専門は、小児歯科、障がい児歯科、健康教育。学術書から漫画の原作、ビデオ制作まで、多数の著作がある。

 歯の話といえば、歯磨きか、甘い物を食べないという話になりがちだが、歯は歯磨きするため、虫歯になるために生えてきたのではない。噛むために生えてきたのだ。
 80歳で20本の噛める歯を残そうというのが「8020運動」だが、それは個人的な世界。むしろ私は、社会的なかかわりを持つという観点から、80歳でも20歳の人と一緒に食事ができるような「新8020運動」を提唱している。同じ釜の飯を食べる。家族が一緒に食卓を囲む。それこそが食育の基本だし、豊かな人生につながると思うから。そのために、食べられるロの維持が大切なのだ。
 かつての日本では、平均寿命の長さが注目されたが、今はいかに健康で長生きするかがテーマ。そのポイントの一つが唾液だ。昔から「よだれの多い子は育つ」「唾液の多い人は長生きする」という言い伝えがあるように、唾液にはさまざまな効能がある。唾液に30秒浸せば、発がん物質の発がん作用も激減する。魚の表面からぬるぬるをとってしまうとカビが生え、寄生虫の侵入を許してしまうが、人間の体のぬるぬるも、また同じ働きをしている。
 ヒトの機能は使わないと衰える。だから、よく噛み、「健口体操」などを行い、口唇や舌を動かす運動をしよう。
野生動物は歯が悪くなると死ぬ。その点ヒトは歯がなくなっても、食べられるものを食べて生きていけるが、非常事態では野生動物と同じ状態になる。1995年の阪神大震災のとき、被災した高齢者が倒壊した建物から真っ先に入れ歯を捜したという話は多い。ある避難所では、差し入れ弁当のハンバーグの脂が冷えて固まったために、歯が悪い人が食べられず、ごみ箱で山になっていた。まさに歯は生きるためになくてはならないものだったのだ。
口は食べ物が入る最初の場所だから、食べ物が変われば最初に変わるのが口。その意味で、何を、どう食べるかは実に重要だ。モンゴルの遊牧民は歯磨きしないのにきれいな歯をしていたが、その秘密は、骨付き肉を前歯で噛みちぎり、奥歯で噛みしめる食べ方にあった。その点、軟らかいものを食べると歯は汚れやすい。ナイフでリンゴを切ってもほとんど汚れないが、ケーキを切ったら、べっとりと汚れがつくように。
小児歯科で子どもを見ていると、おやつの与え方一つとっても、その後の育ちに影響すると感じる。ねだられたら無条件に与えるのか、時間を決めて与えるかで、培われる我慢力が違う。
 食育といえば、すぐに栄養面にばかり目が向けられがちだが、歯科医師の私が考えるポイントは1.皆で一緒に食卓を囲む2.大きく口を開けて奥歯でよく噛む3.空腹感 の三つ。口を大事にすれば健口"健幸"な人生が待っている。



●総合病院に歯科開設
 済生会八幡総合病院院長 松股 孝さん
  まつまた・たかし1951年、北九州市生まれ。九州大学医学部卒。同学部付属病院(現九州大病院)講師、済生会八幡総合病院の外科主任部長、大分県中津市立中津市民病院院長などを経て、2009年から現職。


 専門は外科だが、猛毒で知られるカビ毒のアフラトキシンB1も30秒間噛めば、ほぼ無毒化されるといわれており、医師として噛むことの大切さをずっと感じていた。だからこそ、総合病院内の歯科が廃止される傾向にあるなかで、自院に歯科・口腔外科を開設したいと思っていた。
 九州歯科大(北九州市)の協力で、この4月からその夢が実現できることになった。口腔ケアが充実すれば、汚れた口が原因で起きる術後の発熱なども少なくなると思う。また、病院の職員が60歳すぎまで元気に働けるよう、気軽に歯科受診できる環境づくりも進めていくつもりだ。
 日米には「歯の格差」がある。あるデータでは、「歯に自信あり」と答えたビジネスマンの割合は、ニューヨーク70%に対し、東京は8%に過ぎなかった。歯磨きの回数は1日平均23回で変わらないから、これは定期的に歯科検診をするかどうかの差。いずれにせよ、痛くなって歯科に駆け込むのでなく、定期ケアが国民の健康増進につながるのは間違いないところだ。
 岡崎好秀さんが基調講演で、ユニークな「新8020運動」を提唱されたが、これは噛む能力が前提となる。歯が悪く、うまく噛めないと人前で食事をするのが嫌になり、引きこもりの原因にもなるからだ。
 昇地三郎さんは、75歳ぐらいから総入れ歯だが、世界各国を旅行されても、現地の食事をたくさん食べることができ、元気いっぱいだ。仮に自分の歯がなくなっても、自分に合う入れ歯があれば、人生も楽しくなる好例だと思う。

●「一口30回」幼少から

 歯科医師 山口 知世さん
  やまぐち・ともよ 九州歯科大を卒業、北九州市に3代続く歯科医院の跡継ぎ。個人の特性に合わせたオーダーメード診療を実践、子どもの口内健康教室や、保健師や栄養士、保育士向けの講習を行っている。

 よく噛んで食べようとしてもうまく噛める人とそうではない人がいる。その違いは、母乳を飲むところから始まる咀嚼の学習ができているかどうかによるところが大きい。今の子どもは軟らかい食事で育っているのであえて噛むことを教え込まないとしっかり噛んで食べることは難しい。
 ここで会場の皆さんに、ふだん何げなくやっている口腔機能について確認してもらう。(クラッカーを聴衆に配り、舌の真ん中に置くよう指示)置いただけでは味は分からない。それを舌先で歯の上に乗せ」舌とほおで歯の上から落ちないように支えながら、唾液と混ぜ合わせて噛むことではじめて味がわかり、飲み込める状態になる。
 さらに噛むときの力加減も、歯根とあごの骨の間にある歯根膜に対する刺激で判断している。無意識のうちではあるが、歯や舌やあごが、そんな繊細な動きをしていることが、お分かりいただけただろうか。
 昇地三郎さんの食事の様子を見せてもらったとき、いい入れ歯を作ってもらっていることと同時に、咀嚼機能が落ちていないことに驚いた。
 食器やはしを自分の手で持ち、少ない一口分の食べ物を30回噛む姿は、見事なものだった。いくらいい入れ歯でも、唾液が出て、噛める口でないと食べられない。昇地さんは口の機能が落ちでいないが、それは、幼いころ、母親に言われた「30回噛む」を守っているから。つまり、いい入れ歯を入れることは必要だが、ちゃんと食べる機能を維持していくことが重要なのだ。それは、いかに幼少期からの積み重ねが大事か、ということでもある。

機能維持し病気を予防

長寿

 −健康長寿はみんなの願い。103歳になってそれを具現化している。昇地三郎さんを、医者としてどう見ているか。
松股
 昇地さんのすごさは、噛むことを通して鍛えられたほっぺたの筋肉。力こぶみたいな筋肉が活力の源だろう。
山口
 昇地さんは言葉も明瞭で、いい笑顔をする。食べるときの姿勢もいい。口もきちんと閉じて食事ができる。今では想像もつかないが、昇地さんは小さいころ虚弱体質だったという。しっかり噛むことで、病気をしたら治すという考えではなく、口を使う機能を維持しながら、病気をしない体づくりをされてきて今がある。
岡崎
 長寿のために高齢者はまず、食べる機能を落とさないこと。それには子ども時代に機能を高めておく必要があるのだが、唾液が少なくて、口をぽかーんと開けて口呼吸する子、しゃべるときに口が動かず、滑舌が悪くて正常な発音ができない子らの増加が気になっている。また、ケーキのロウソクを吹き消すことができない子どももいる。食べ物が軟らかくなり、簡単に飲み込んでしまうために、唇やあご、舌がちゃんと機能しないのだ。

 −どうしたら機能が高まるのか。
岡崎
 赤ちゃんのころから、ずっと鼻からチューブで栄養をとっている子はなかなか首がすわらないが、舌を動かす訓練を施すと首がすわるようになる。大人がその大事さを理解し、子どもに口遊びさせたり、よく噛むよう仕向けたりすれば唾液腺も発達し、健やかな成長が見込める。

重要性に反し低い評価

歯科
 −総合病院から歯科がなくなっている。その理由は。
松股
 長い間、診療報酬が抑えられ、病院の経営が厳しくなったからではないか。歯科医師に対する技術評価が診療報酬で低く算定されていることも要因だ。歯垢や歯石、虫歯があるだけで、術後の状態が悪くなることもあるくらい歯科は重要なのに。麻酔科、放射線科のない総合病院がないように、歯科もそれと同等に位置付けられるべきだと思う。
 -静岡県立静岡がんセンター(静岡県長泉町)では、口腔ケアで口の中をきれいにしてから手術することで術後の合併症が激減していた。そんな話は、医師の間では常識ではないのか。
松股
 理解していない医師が多く、常識にはなっていない。ただ、口腔ケアヘの関心は高まっており、あと数年で常識となることを期待している。

 −多くの人が分かるように口腔ケアについて説明してほしい。
岡崎
 例えば、この会場でいすの上だけをきれいにするのが歯磨き。ケアといったら会場の天井もあれば壁もあり、全体ということ。歯磨きだけではなく、舌を磨いたり、ほっぺたを伸ばしたりすることを含めて言う。

 −歯科業界は、歯科医師の指示の下、入れ歯などを担当する歯科技工士が減少している。きょうは会場に、昇地さんの入れ歯を作った歯科技工士の原田庸人さんがみえている。そのあたりの事情を話してほしい。
原田
 私たちの業界は、若手離職者の急増や、中国など安い輸入義歯の流通量の増加など、まさに内憂外患の状態。背景には不当に低く抑えられた保険点数の問題がある。それが改善されない限り、あと10年もしたら、日本から歯科技工士はいなくなるかもしれない。


関心持ってプロと連携

ケア
 −最後に一言。
山口
 口にもっと関心を持ってほしい。自分で手入れできることは自分でやり、できないところは歯科医師と歯科衛生士らで補う。患者さんを含めチームとしてやれば、「きれいな口」は可能だ。そうすることで、しっかり噛むことができ、健康も保たれる。
岡崎
 最近、子どもの虫歯は減っている。でも、保護者は虫歯予防や栄養のあるものを与えることには一生懸命になるが、噛んで食べることには興味がなく、噛む機能が落ちていると感じている。その根底にあるのは、おなかを空かせた経験がないということがあるように思う。人間は、空腹から逃れるために知恵を出し、進化してきたわけだから。そして、基本はよく噛む食生活。「よく噛みなさい」と言うよりも、噛まねばならない食事を出すことだ。
松股
 日本はとかく技術に対する評価が低い。農業とか漁業とか、国を支えている根幹がおろそかにされている現状のなか、怖くもない病気に怖い薬がたくさん使われて、医療費の上昇を招いているのが、今のご時世だから。外科も歯科も技術がすべて。歯科医師の技術を評価して、正当な診療報酬が得られるよう、西日本新聞にはオピニオンリーダーとして、本当に大事なところがどこなのかということを示してほしい。

口の健康体操 

 「結んで〜、開いて〜」。歌に合わせて舌や口を動かすことで口腔機能を高め、唾液の分泌を促す「健口体操」。福岡県歯科衛生士会の歯科衛生士、江崎久美子さんと久保山裕子さんの2人がステージ上で披露した。聴衆も一緒になって「アッカンベ〜」。会場が一体となったにぎやかな光景が繰り広げられた。

    
会場の声
「すぐ介護現場で生かせる」
「唾液の抗菌作用びっくり」
「できるだけ新鮮な野菜を使って自炊すれば健康的だと思っていたが、噛む食事については意識していなかったことに気付いた」
                          (福岡市、20代女性)
「現在妊娠中。これから子育てを迎えるが、しつけの意味や家族で食事をすることの大事さなど、食を通じて子どもに学んでもらうことは本当に多い」
                       (福岡県那珂川町20代主婦)
「病院で働く栄養士だが、若い母親たちの栄養補給はサプリメントやジュース、
ごはんはおなかが満たされ、早く食べられて、好きなものだけ、という感じだ」                           (福岡市、30代女性)
「歯科医師として患者のクレームや保険点数にばかりストレスを感じていた。この仕事が、生きていくために、どれだけやりがいのある仕事か、ということに気付かされた」                 (福岡県大野城市、40代女性)
「歯科医師を40年以上やってきたが、これまでの歯科はほとんど口の中の大工で、歯科本来の目的を忘れていたように思う」
                                                (
大分県佐伯市、60代男性)
(岡崎先生が話された)唾液の抗菌作用にびっくり。6カ月検診に行くようにする」
                                              (
福岡県大野城市、60代女性)
「健ロ体操は、すぐに介護現場で生かせる」
                                              (
佐賀県三養基郡、60代女性)
「先日、仮歯を3本連続で入れたら、診療時間は2時間半で支払ったのは120円。
あまりの安さにびっくり。歯科の診療報酬を上げる運動があれば賛同する」
                                                    
(福岡市、60代女性)
「このシリーズはぜひ続けてほしい」
                                                      (
福岡市、70代男性)


口の向こうの奥深さ

    数年前、食の循環図をつくった。

 
食を考える際、多くの人は、「食べる」ことでしかとらえていない。だから、「これを食べると元気になる」、あるいは「病気になる」といった情報に右往左往する。
 だが、人の健康度がわかるのは、何を食べたかより何を出したかの方だ。立派な便が出るときは、腸内細菌の状態もいい証拠。体の免疫機能も働いている。
「食べる」前には「作る・捕る」もある。いつ、どこで、だれが、どう作ったかで栄養価は変わるし、それを受け入れる私たちの体の状態も季節によってまた違う。さらに、「買い物する」「調理する」「土に返す」とともに、感謝やひもじさといった「感覚」と組み合わせて食を語ってきた私たちに欠けていたのが、今回取り上げた、「食べる」と「出す」の間にある「噛む」だった。
 歯といえば、小学生時代に習った悪魔がやりを持った虫歯のイメージが強い私にとって、取材は驚きの連続だった。もっと早く知っておけばと思うと同時に、記者が感じた「へ一」が読者に伝われば、「新聞を読んで得した」と思ってもらえると確信した。
 おなかの中は毎日のぞけないが、口ならいつでも自分でチェックできる。歯茎から血が出たり、口臭が出たりするときは、何かの異常のサインだし、舌でも健康状態はわかる。まさに口は健康のシグナルであり、全身の病とつながっているのに、わが国ではほかの病気に比べて歯科の優先順位が低いのはなぜだろうか。
それは医療のプロと呼ばれる人たちも含め、私たちが噛むことや食生活という、極めて日常的な行為を軽視しているからではないか。体に境目はないのに、なぜか存在する医科と歯科の壁や、予防的措置ばかりやっていては、歯科の経営が成り立たないという日本の医療制度の欠陥もあろう。
 口を命の入り口にするか、病の入りロにするか。痛くなる前の定期ケアが根付き、健康を維持すると同時に、膨れ上がる医療費に歯止めがかかるような仕組みができるかどうかは、私たちの意識いかんにかかわっていると思った。
 それにしても、口の向こう側の奥深いこと。二十数回にわたる連載・特集を終え、やっと入り口に立ったというのが、私たち取材班の正直な感想である。
                     (西日本新聞社編集委員・佐藤弘)